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大和の昔話 第十四話(大和郡山市)

神社仏閣や遺蹟など歴史が深い世界には、由来、伝説、昔話など色々あります。
幼い頃に毎週放送されていた昔話が大好きでした。
昔の人たちの考え方、捉え方などを感じさせてくれる大切なお話だと思っています。

色々な参考資料をもとに写真と共にお伝えしていきたいと考えています。
では第十四話をお話しさせていただきます。

稗田の里

大和郡山市の稗田の里は、堀に囲まれた古い村で、日本の一番古い古事記という本の物語を話し伝えられた、稗田の阿礼さんのおられた里だというので、この村の氏神、賣太神社では九十年ほど前から、毎年八月十六日に阿礼まつりが行われ、童話の先生たちがたくさん参拝されて有名です。

その阿礼さんよりまだ昔に、聖徳太子さんがこの稗田の里へお越しになりました時に、村人が稗のご飯をさし上げたということです。

聖徳太子は

「どうしてこんなものを食べているのか」

とお問いになりました。村人は

「この土地は水の便が悪くて、米が十分にとれませんので、稗を常食としています」

と答えました。太子は

「それはかわいそうだ。水の便をはかってやろう」

とおっしゃって、その付近を馬に乗っておまわりになり、稗田の東方、今の奈良市池田町に大きい池を掘らされました。これが今の広大寺池で、今もこの池のかぎ元は稗田の里で、この池の水の最大の権利をもっています。稗田の人はこの池の水を出すたびに、聖徳太子の御徳をしたって、法隆寺へお礼参りをすることになっています。

~大和郡山市・稗田町

写真・奈良市池田町 広大寺池

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