神社仏閣や遺蹟など歴史が深い世界には、由来、伝説、昔話など色々あります。
幼い頃に毎週放送されていた昔話が大好きでした。
昔の人たちの考え方、捉え方などを感じさせてくれる大切なお話だと思っています。
色々な参考資料をもとに写真と共にお伝えしていきたいと考えています。
では第十一話をお話しさせていただきます。
矢田の石地蔵
昔、矢田山のふもとの村に、一人のおばあさんが住んでいました。うちで食べる味噌を作っていました。味噌は大豆を煮て米または麦の麹と、塩とをつきまぜて作るものです。昔は、どこの家庭でも自家用の味噌は家で作りました。しかし、美味しい味噌を作るのには工夫がいりました。
このおばあさんは、毎年のように味噌を作るのですが、どうしてもうまくできないので嘆いていました。近所の人からも味噌作りが下手で笑われていました。そこで何とかして隣近所の人々に笑われない味噌を作りたいと、矢田山のお地蔵さんに願をかけました。
すると、ある夜、不思議な夢を見ました。枕元にお地蔵さんが立たれて「そんなに味噌作りに困っているなら、わたしの口に一度食べさせて下さい。よく味わってみてよい味噌に味つけをしてあげよう」と、いわれたかと思うと目が覚めました。
「こんな夢をみたが、ほうとうかしらん」と、翌日夢に教えられた石地蔵さんにお参りして、お地蔵さんの口に、作った味噌をすりつけ、手を合わせて一心に拝んで帰りました。
二、三日して味噌桶の蓋をとって出してみると、本当に美味しい味噌になっていました。それからこのおばあさんは毎年、味噌を作るとお地蔵さんにそれをさしあげてお祈りを続けるようになりました。今まで人から笑われていましたが、それからは褒められるようになりました。「あのお地蔵さんは、味噌作りを助けてくださる、ありがたい」というので、近辺に評判になりました。
矢田の寺の本堂の石段下の北側に、大きな石地蔵が赤いヨダレカケをかけて、ニッコリと笑って立っておられます。石仏の研究家は鎌倉時代のものだといっています。
矢田寺は最初は十一面観音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、弘仁年間(810~824年)に満平上人により、地蔵菩薩が安置され、それから地蔵信仰の中心地として栄えてきました。
ここは「花の寺」としても知られています。春はツツジ、初夏の紫陽花、夏の夾竹桃、秋の萩と紅葉が美しいです。中でも初夏の紫陽花が有名です。雨に濡れている曲がりくねった石段を百段あまり登りきり、紫陽花たちと見つめ合うひととき。心身が清らかになります。
~大和郡山市・味噌なめ地蔵
写真・大和郡山市 金剛山寺
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