神社仏閣や遺蹟など歴史が深い世界には、由来、伝説、昔話など色々あります。
幼い頃に毎週放送されていた昔話が大好きでした。
昔の人たちの考え方、捉え方などを感じさせてくれる大切なお話だと思っています。
色々な参考資料をもとに写真と共にお伝えしていきたいと考えています。
では第七話をお話しさせていただきます
百万ヶ辻子
奈良市の三条通りを上がって行くと、左手に第九代開化天皇の御陵があり、この御陵の西方に百万ヶ辻子という町があります。ここは昔、百万という女の人が住んでいたといいます。
百万は春日の巫女さんでしたが、後にひとりの男の子を産みました。
西大寺で法要があった時、この子をつれて参詣しましたが、群衆の中で子供を見失ってしまいました。百万は気狂いのようになってあちこちと探し求めましたが、どうしても見当たりませんでした。
ある日、百万は京都の嵯峨野にある清涼寺の大念仏絵に参詣しました。その時に子供がこの寺にいることを聞き、ここで親子が再開して喜び合ったということで、謡曲(能の詞章)にも「百万」というのがあって、この物語を伝えています。
この百万の子は清涼寺で仏門に入り、道浄和尚といいましたが、後に唐招提寺の坊さんになって、この寺の復興に努めた高僧になりました。 道浄和尚は幼い時から母を慕い、長じては寺のそばに母を住ませて孝養をつくしたということです。
西大寺の東門を入っていくと、しばらくして左手に小さな池があり、柳の木を植え、「百万の遺蹟」を残しています。また、奈良の今辻子町を東へ入った西照寺には、百万の塚という石塔が残っています。
三条通りは賑やかに人が行き交っていますが、ほんの少し離れたこのお寺は静寂です。その空間で素朴な五輪塔と向き合い偲ぶ。そんなひとときもいいものです。
~奈良市・西照寺、西大寺
写真・西照寺 百萬供養塔
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