一本歯下駄マッチョフォトグラファーの呟き日記

一本歯下駄マッチョフォトグラファーの呟き日記no,3

一本歯下駄マッチョフォトグラファーの呟き日記no,3

前回はマッチョ、つまり筋トレ中毒者について語っていた。

今回はフォトグラファー、つまり表現者について話してみよう。

初めてマイカメラを持ったのは16歳で今から27年前だ。この頃はまだフィルムカメラが主流であった。それから5年後くらいにコンデジを手に入れた。しかしこの頃はただ可愛い子たち(うちのペットの犬、猫、うさぎなど)を撮っているだけだった。
儂には持病があって発作が酷く、事務の仕事をしていた時があった。その時にお世話になっていたおばさんに写真を見せると、「センスあるよ」と言われたことをキッカケにカメラ・写真に対して向き合う視線が変わっていったな。

心を惹かれた被写体(たとえば草花)とレンズ越しに会話をする。彼らが何を話しているかは聞き取れないのだが、何かが聞こえる。それに応える。満足できる一枚ができた時は、被写体と周波数が一致できたんだと嬉しくなる。レンズ越しでいるときは外の音が聞こえなくなっていることもよくある。これも瞑想であり、一種の悟りである。

どうやら一話で話していた秘訣の答えを見つけてしまったようだ。
儂の若さを甦らせるのは、瞑想及び一種の悟り。
三話目で完結とは早かったな

いやいや、答えが解れどもその中身が重要だ
中身をもっと深みがあり高波動なものにしていく。

今回の呟き日記のメニューはここまで。インターバル終了後にまた!

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