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大和の昔話 第十六話(天理市)

神社仏閣や遺蹟など歴史が深い世界には、由来、伝説、昔話など色々あります。
幼い頃に毎週放送されていた昔話が大好きでした。
昔の人たちの考え方、捉え方などを感じさせてくれる大切なお話だと思っています。

色々な参考資料をもとに写真と共にお伝えしていきたいと考えています。
では第十六話をお話しさせていただきます。

寒つばなと霊木

天理市の丹波市から南方、御霊神社から三昧田あたりにかけて、田のあぜに寒つばなという寒中に穂を出すツバナ(チガヤのこと)が生えています。

天正の乱世のころ、この東方にそびえる十市城の十市遠忠を攻めた越智玄蕃頭(えちげんばのかみ)が北国から寒つばなを移植しました。それはこの花穂が寒中に白い剣のように輝くので、兵士がたくさん槍を持って立っているように見せるための擬装だったのだといいます。

(この草は麻疹にもよく効き、女性のこしけの薬用にもなるので、明治初年までは京都の公家の奥方が、この寒つばなを採集にきたともいいます)

三昧田から東南にあたって中山という所に中楽寺といる古いお寺があって、十一面観音菩薩像があります。昔、行基菩薩が中山のある草庵で一夜明かされたことがありました。その時、長山(おさやま)の土中から光を放つものがあります。行ってみますと、それは一つの朽ちた木でありました。これは霊木であるといって、みずからこの木をもって観音菩薩の像を刻まれました。

ところがこの寺は天正四年(1576年)、十市城が落城した時、兵火にかかって焼けてしまいました。今あるお堂や菩薩像はその後の天正以後のものです。

~天理市・三昧田

写真・御霊神社

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