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大和の昔話 第十話(奈良市)

神社仏閣や遺蹟など歴史が深い世界には、由来、伝説、昔話など色々あります。
幼い頃に毎週放送されていた昔話が大好きでした。
昔の人たちの考え方、捉え方などを感じさせてくれる大切なお話だと思っています。

色々な参考資料をもとに写真と共にお伝えしていきたいと考えています。
では第十話をお話しさせていただきます。

良弁杉(ろうべんすぎ)

昔、滋賀県の志賀というところに夫婦がいました。長らく子どもがありませんでしたので観音さまにお祈りをして、男の子を授かりました。喜んで育てていました。この子は二歳のとき母と共に桑畑へ行きました。母は桑の葉をつみました。その間、桑の木のかげで遊んでいました。空を飛んでいる鷲(トンビとも言われている説があります)は、この子を見つけました。よい大きな食べ物が見つかった鷲は、母親の知らぬ間に、スウッと降りてきて、その子を鷲掴みに掴んで空へ飛び上がりました。子どものいなくなったのに気のついた母親は「オーイ、オーイ」と、飛んで行く鷲のあとを追いかけましたが、鷲は人間の言葉がわかるはずはありません。どんどん向こうへ飛んで行って、雲の中へはいってしまいました。

鷲は、その子を掴んだまま奈良へ飛んできました。今の二月堂の下の杉の枝にひっかけて食べようとしました。すると、その子の胸のあたりからご光がさして鷲の目がくらみました。どうしてもその子を食べることができません。それで諦めて鷲は飛んでいきました。

子どもは「おかあちゃん、おかあちゃん」といって泣いていました。

その下を、たまたま、義淵(ぎえん)という坊さんが通りますと赤子の泣き声がするので上を見ると、枝に子どもを引っ掛かっていました。「これは、かわいそうに」とその子を枝からおろしてみました。子どものふところに一寸八分(五・四センチ)の金の観音さまのお守り袋が入れてありました。義淵はこの子を育てて大きくしました。名を良弁(ろうべん)といいました。大きくなってから東大寺の建立に力を尽くしました。三十年間、全国を探していた母親と、はじめて杉の木の下でめぐりあったということです。その杉を「ろうべん杉」といいます。

この良弁杉も今は三代目になっているそうです。この伝説は広く語り継がれ、「良弁杉由来」という演目として文楽や歌舞伎で上演されてきたほか、現在でも奈良の市民劇団により親しみやすい形でミュージカル劇が行われたりしています。二月堂の前に脇役というよりもダブル主演のように立派に立つ良弁杉。東大寺の名物のひとつです。

~奈良市・東大寺

写真・奈良市 良弁杉

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