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大和の昔話 第五話(大和郡山市)

神社仏閣や遺蹟など歴史が深い世界には、由来、伝説、昔話など色々あります。
幼い頃に毎週放送されていた昔話が大好きでした。
昔の人たちの考え方、捉え方などを感じさせてくれる大切なお話だと思っています。

色々な参考資料をもとに写真と共にお伝えしていきたいと考えています。
では第五話をお話しさせていただきます。

業平道と姿見の井戸

天理市櫟本町の在原は、西名阪と天理街道の交差する西南方の地です。

今は、そこにささやかな在原神社が残っているだけですが、昔はここに立派な在原寺があり、もとは在原行平や在原業平など在原氏の氏寺でした。

平安時代に在原業平という歌人がいました。平城天皇の孫に当たり、有名な美男子だったということです。

若い時はこの在原に住んでいて、河内(大阪府)の高安にいる女性の所へ通ったという業平道が千年後の今もなお、きれぎれではあるが細々と残っています。これは昔の大和と河内を東西に結ぶ大切な古い道だったのです。 在原から一キロ西へ行くと、昔、聖徳太子が橘寺から法隆寺の方へ通われたという橘街道とこの業平道が交差する所があり、そこは大和郡山市新庄の鉾立という所ですが、その交差点の東南のすみに、業平姿見の井という古い井戸があります。

河内通いの業平はそこで自分の姿をうつしたと言い伝えがあります。

今はここに蕪村の句碑が残っています。

「虫鳴くや河内通いの小提灯」

(大和から生駒山を越えて河内へ通う。虫鳴く夜道を河内通いの男の小さなちょうちんの光が揺れていく。)

これは江戸時代の俳人谷口蕪村が、業平道のことを詠んだものです。

この業平道は法隆寺の前を通り、竜田川を渡り十三峠を越えて河内に入るのですが、法隆寺の前の並松の北端にも、業平姿見の井があります。ここでも業平が姿をうつして行かれたと言い伝えがあります。

業平の家から彼女さんのお住まいの高安(大阪府八尾市)までは、現在の整った道でも26kmあります。
業平の時代ではもっと長く大変な道だったでしょう。それでも逢いたい想いがとても強かったのですね。

今の時代にもその波動がなびいているからこそ彼の話が残っている。

景色や生活、常識など大きく変わっていても、今も昔も人を想う気持ちは変わらない。彼がそう歌っているように聞こえた一話でした。

~大和郡山市新庄町・業平姿見の井戸

写真・業平姿見の井戸

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